キリスト教学Ⅰ 第10講 自分自身を愛するために セルフイメージの大切さ
6月22日㈫キリスト教学Ⅰの第10講では、「自分自身を愛する」ことについて学びました。
前回の講義では、古代ギリシャにおいて「愛」という言葉には、4つの種類があることを知りました。
- ・エロス 恋愛 求める愛
- ・フィリア 友愛 同等の愛
- ・ストルゲー 家族愛 血縁に基づいた強い愛
- ・アガペー 神の愛 与える愛 無償の愛
4つに分類された愛のうち「アガペー」が「神の愛」であり、「与える愛」「無償の愛」と言われています。
「愛の賛歌」と言われる 新約聖書 コリントの信徒への手紙1 12章31b節~13章8a節
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない」
この聖書個所の、「愛」を「自分」に置き換えてみました。
「自分は忍耐強い。自分は情け深い。ねたまない。自分は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。自分は決して滅びない」
このアガペーの「愛」を実践するのは、本当に難しい事だと実感します。
建学の精神である「愛と奉仕に生きる良き社会人」の「愛」について、キリスト教学Ⅰでは、聖書の様々なみ言葉から学んでいます。
愛するということ ヨハネの手紙1 4章12節
「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです」
私たちは、神を見ることができません。しかし、私たちが互いに愛し合うならば、私たちは、そこに愛を感じる、つまり、神を感じることができます。
幼子は、愛されることを当然のこととして誕生します。しかし、成長する過程で、周りからの様々なかかわりによって、愛されているという確信を見失います。特に、周りの大切な大人、家族からかけられた言葉によって、その子自身が自分を愛する、つまり大切に思う気持ちを育んだり、損なわれたりします。こうして六歳ごろまでに形成されていく自己像を、心理学者のカール・ロジャーズは、「セルフイメージ」と言いました。
カール・ロジャーズによれば、この世に悪がはびこり、心の病が生ずるのは、すべて環境が悪い、特に、両親や教師など自分にとって大切な他者が「条件をつけて」かかわってくること「何々すればあなたはいい子だけれども、そうしなかったら悪い子」という態度でかかわることが、セルフイメージを歪めるのだと言われています。
でも、大丈夫です。
人は、人生で、誰の言葉を一番聞いているでしょうか。
それは、「自分の言葉」です。
すなわち、私たちが、自分を愛する言葉、自分を大切にする言葉、他者を愛する言葉、他者を大切にする言葉を使えば、私たちの心は、その言葉で満たされます。
聖書の中には、特に、福音書の中には、自分を育む美しい言葉が溢れています。
学生たちは、その一つひとつを味わいながら、自分の言葉として「内言化」しています。
6月22日㈫の午前中にあった授業を受けて学生が書いた「振り返りシート」には、学生の美しい言葉がたくさん記されていました。そのほんの一部を、午後に開催された、全教職員が参加する会議で分かち合いました。私たち教職員も、学生の美しい言葉により、とても励まされました。
学生の振り返りシートから 6.22
♥桜の聖母の先生方を見ていると、持てるものすべてを私たちのために与えて下さっているなと感じる場面が多くある。そんな先生方から、私たちは愛の精神に触れ、私たち自身もそうなっていけるのだろうと思った。
♥短大の先生は、とても優しくて、先生方に認められるととても幸せな気持ちになる。
2年間のアガペーを存分に味わい、将来は与える側になる。